1998年 産地のルール

産地には、産地のルールがある事を知りました。

東京で飛込営業を続けているうちに、あるとき百貨店の方を紹介して貰え、「面白そうだから、個展をしますか」と嬉しいお声をいただきました。胸を弾ませ、スキップしている気分で地元に帰りました。

何を作ろうかとワクワクしていた翌日に産地問屋さんから電話が有り、「産地のルールを守らないといかんよ」と。他の問屋さんからも「職人が前に出るな」「生意気な、潰すぞ」と叱られ、そういう事なんだ、と。お声を掛けていただいた百貨店の担当の方には辞退を申し入れました。

業界的に高級な漆器は百貨店が売る。その百貨店から仕入れ依頼を請けるのは、百貨店の取引口座を持った百貨店問屋。その百貨店問屋から発注を受けるのは産地問屋。産地問屋が産地の木地屋さん、下地屋さん、塗り屋さん、蒔絵師等の職人達に発注する。
今でいうサプライチェーンが産地にはあり、力関係も根強く、物を売るには問屋制度が常識として存在していました。そんな縦社会で統率された世界で、世の中を知らない職人がルールを逸脱した違反者として怒られた訳です。

そのことがあってからは、自分で考えた木地を作ったら、まずは産地問屋さんに提案しに行きましたが、問屋さんは「赤に塗ろうか、黒にぬろうか」と。「木地でも綺麗なんだから、塗らずにこのまま売れないか」と言えば、「塗らなかったら価値無いだろう」と。その時に「この産地は塗る事に価値があって、塗らなかったら価値が無い」と気付かされました。

漆器は漆器屋さんが売るもので、漆を塗らない価値の無いものは漆器屋さんは売らない。私達、木地屋さんは漆を塗り仕上げる事は出来ない。塗り師に頼めば、お金を支払わないといけない。それならば、漆を塗らない商品を自分で販売すれば、誰も文句は言わないし、お金も出て行かない。

それからは、漆を塗らない木工雑貨品を自分で東京に売りに行きました。そんな雑貨商品を販売していると産地の人からは、「そんな雑貨もん売れるんか?」「変わってるな」と言われました。しかし東京での評判は上々で、引き合いは多く、取引先も増え、売り上げも増え、明るい見通しが立ってきました。

結局のところ産地は井の中の蛙でした。産地に閉じこもっていないで、勇気を持って出てみると世の中の価値観との違いは歴然としていたのです。ここからHacoaの漆を塗らない、木地づくりの技術を用いた商品づくりが始まりました。

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