2007年 ブランドとしての姿勢

東京でHacoaに関する話題が盛り上がりを見せて、連日のように訪問者が訪れるようになった。
Hacoaのものづくりを観たい、実際に商品を見て買いたい、と県外からの訪問者が増え、その中には俳優さん等の芸能人や各方面の著名な方々、雑誌やテレビ番組の取材もあった。けれどもそんな様々なお客さんを迎えるのは相変わらずのボロ小屋だった。

数々のヒット商品を生み出す中で注文に追われ、店構えまで気が回らなかった。小屋の中の展示スペースには商品を並べていたものの、これが欲しいと言われたら工場に行き、商品を持って来てお渡しする。レジも置いていないのでお釣りも自分の財布から出していた。

お店としてお客様に向き合う姿勢は最低極まりなかったが、忙しさもあって本当に気が付かなかった。Hacoaのものづくりを観たいと楽しみに来たお客さんはびっくりしていただろうと思う。結果として一見さんが多くなった。不甲斐ない自らの姿勢でお客さんを一見さんにしてしまっていた。

そんな中、鯖江の眼鏡業界を代表する社長さんが訪ねて来た。世界中から注目される一流のブランド「JAPONISM」を展開する社長さん。いつもお洒落でビシッときめていて、憧れの人。東京の表参道に店を出す際に展示する一流の箱を作って貰えないか、という相談に来られた。

同行して来たスタッフと共に打ち合わせをしていると、社長さんが口を開いた。「いつまでこんなボロ小屋に居るんだ。有名になって来たんだからブランドとしての看板を掲げたらどうだ」と。「看板を磨かないといかんよ」と。初対面でいきなりそんな事言うんだとびっくりしたが、確かにその通りだった。

その一言が、お客さんと向き合う姿勢がなっていないと気付かせてくれた。本当に恥ずかしいと思った。今思い返しても、ビジネスも人生をも変える厳しくも心温まる言葉だった。

社長さんが帰った直後に以前から書き溜めていた建物の図面を持ち出し、更に追加で描き始めた。お客さんを迎える為に、社員が働きやすい環境を作る為に、ブランドとして恥ずかしい思いをしない為に、建物の図面を何日も何枚も描いた。自分の想いを詰め込んだ箱を作る。適当じゃなく、自慢の出来る箱づくりに取り掛かった。

ある程度の図面を描き上げたところで建築士を探した。東京で著名な建築家との付き合いもあったが、遠方で先生と呼ばれる人に頼むと設計費は高額になる。自分の想いも消されて行く事を知っていたので、県内で若く有能な設計士を探し、メールで図面を送り依頼した。最終的にその設計士が引き受けてくれる事になり、ドリームファクトリーの夢が動き始めた。

東京の表参道に店を出す際に展示する一流の箱を作って貰えないか

鯖江の眼鏡業界

社長さんは数日後にも来て、「そんなアラレちゃんのようなメガネしてないでこのメガネをしなさい。メガネは面構えも変え、人の人生を変える力があるから」と渡されたのは、ブランドの新作で10万円近い値段の高級フレームだった。当時の自分は身形も気にせず“ザ・職人”スタイルだった。メガネも格安店で購入した丸いセルフレームだった。その社長の言葉通り、その洗練されたフレームを付けると身形も変えたくなる。メガネも服装も整え東京へ営業に行くと、取引先から変わったね、と褒められる。褒められるとそれが自信になり、活舌も良くなり、仕事も上手く行くようになる事で顔つきも引き締まる。全てが上手く行くように思えた。

人生を変える助言とさり気ない贈り物。それは世界的なブランドを作った人だから出来る事であり、助言出来る心の余裕と温かさに凄さを実感した。後に社長さんからは、「誰にでも言っている訳では無く、君の可能性と将来性を強く感じたからだ」と笑い、良き出逢いの思い出を何度も語っている。私にとっては、もはや兄のような存在であり、その後も何かと気に掛けて貰い、お酒を交わしながら相談が出来るお付き合いをして戴いている。


日々の忙しさに追われ、社長としてしなくてはいけない仕事をせず、お客さんを迎える姿勢の無さを見るに見かねて喝を入れて貰いました。この時から社長としての仕事は何か、ブランドとして掲げた看板をどのように磨くか、を考える様になり、ブランドを高める意義とプライドを持つ姿勢を身に付けられたのだと思います。

先人の経験による的を得た厳しい一言を受け入れ、自分を見直す機会を得る事は、人生もビジネスも変える事になります。そのような人に出逢えたのは自分自身の強運さもあったとのだと思いますが、先ずは相手にして貰えるだけの位置にいなければならない。それには自分を磨き、看板を磨く努力を怠らない。Hacoaではこうした姿勢が会社全体で共有され、社員は日々精進しています

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