1997年 東京への飛込営業
産地の仕事を請け、産地の外へ出たことの無かった田舎者の木地職人が、東京のお店に飛び込み、売り込みを続ける日々でした。
初めて東京に行ったのは28歳の時。お金が無かったので、8時間を掛けて夜行バスで東京に向かいました。朝6時前に東京・新宿に辿り着きます。当時の夜行バスはリクライニングシートが採用され始めた頃でしたが、当たりが悪いとベンチシートで長時間横にもなれず、揺れも大きく、眠れずに苦痛な時もありました。
早朝に新宿駅前に到着しても、お店は何処も開いていなかった時代でした。24時間営業のコンビニも無かったように思います。漫画喫茶等も無く、お店が開く時間まで居る場所も無く、百貨店のシャッターに寄り掛かり仮眠して、目が覚めたら当日飛び込むお店への地図を広げて、ワクワクしながらスケジュールを立てていました。
スマホは無い時代でしたので、お店の情報も無い。とにかく、隈なく歩く為の道順を決め、目に入ったお店に飛び込む準備をしていました。新宿から渋谷、代官山、目黒、恵比寿、青山、六本木と隈なく歩き倒す日々。
そんな経験もあり、大通りから裏道まで頭の中に入っていて、20数年経った今でも、タクシー運転手よりも道には詳しいと思います。
飛び込む際には、スポーツバック2つに自ら作った漆器を詰め込み、朝から晩まで、目に入ったお店に飛び込み「商品を見て下さい」とお願いする。門前払いされる事も多く、その中には名刺を出しても目の前でゴミ箱に捨てられ、悔しくて涙を流す事もありました。
それでも前を向いて歩き続けられたのは、商品を見て貰える人もあって、「こんな商品はここへ行くと取り扱ってくれるんじゃないか」と、助言してくれる事が嬉しくて、次、次といった感じで進むことが出来ました。若かったからそんな無茶も出来たのだろうと、思い返しては懐かしんでいます。