2006年 木製USBメモリの誕生
情熱を持って福井まで来てくれた大手商社マンにお返しをしなければならない、と考えていた時に机の上にあったUSBメモリが目に入った。
当時はUSBコネクターが市場に登場したばかり。画期的な開発品だった事もあり、この頃から急激にUSB商材が増えて行く時だった。USBメモリも姿を現したばかりの時で、保存容量は32MBとおもちゃ程度だった。だが、小さなスティック状でパソコンに刺すだけでデータを保存が出来る。大きなドライブ機器も要らない。画期的な商品だったのは間違いない。
世界中のUSBメモリは台湾で作られていて、私達が直接仕入れを申し入れても出来ないレベルである事は分かっていた。このメモリの基盤を手に入れるのには、彼に頼むしかない。手元にあったUSBメモリを分解し、カバーを木に変え、そのサンプルを持って東京に行った。
「木―ボードの量産化は難しい。代わりにこれを売って貰えませんか?」と尋ねた。彼はサンプルを見て、「こんなおもちゃは売れない。メモリスティックは自分達ならメーカーからサンプルで貰うような品だ。そんな500円以下の商品が5,000円になるか?」と疑問を返された。
私は、「木のメモリステックは世の中に無いし、レーザーで名入れも出来る。会社のロゴを入れればノベルティにもなる。手触りも良いし、話題になる。私達は中の基盤は手に入れられない。どうか基板を手配して貰えないだろうか。木のUSBメモリに変え、御社に納入します」とお願いした。彼は私の説明を一通り聞くと、「分かった、やってみよう」と信じ、言ってくれた。早速メーカーと取引を交わし、私が福井に戻った時には手元にUSBメモリの基盤が送られて来た。
その後何度か試作を繰り返し、商品のバリエーションを作る為に模ったのが、「モナカとショコラ」。最中菓子を模った「モナカ」。ブロックチョコレートを模る「ショコラ」。木の色がお菓子の自然の色を彷彿とさせる、デザイン性の高い商品が誕生した。仕上がった商品を彼に見せると「非常にかっこいい」と。売れるというよりは売る、と言って貰えた。
情熱が漲り、社内の営業に対し商品の案内を拡散し、営業が一気に動いた事で商品は全国に拡がった。それからは毎月何千個という注文が舞い込み、世界的なソフトウェアの会社からもロゴ入り何千個という注文がまとめて入るようになり、製作に追われた。これが大手商社の力かと驚いた。小屋を事務所にしているような小さな木工所にこれだけの仕事を与えてくれる事が驚きでしか無かった。
彼からはHacoaのパソコン周辺商品のアイデアや案件を次々に貰うようになり、その期待に応えるうちに「Hacoaのブランドを世界に知って貰おう」とHacoaのカタログを作り、台湾やドイツの展示会に出展。Hacoaの名が業界で知られるようになり、海外で様々な人脈を作る事にもなった。
その後も人気トレンドドラマの小道具に採用して貰ったり、デジタル雑誌に掲載を促したりと、ありとあらゆる手を尽くし販促を行って戴けた事で、Hacoaは「伝統工芸×デジタルギア」というキャッチコピーにてイメージが固まり、彼の情熱溢れるプロデュースがパソコン業界でHacoaの知名度を一層高めた。
一人の情熱的なアプローチがあった事で私達の時間軸が変わりました。伝統工芸、手作りの世界とは次元の違うスピード感を体感して、これまでの自分の立ち位置がそうした時間軸に全く乗っていなかった事を痛感した取引でした。こうした大きな波が来た時に、乗るか乗らないか、乗れるか乗れないかの判断は難しく、波に乗らなかったらこの後の事業は陽の目を見なかっただろうと思います。
今でも彼が起こした波に乗り、海外での協力者と共に仕事が出来ています。そんな出逢いは一生に何度もあるものでは無いだろうと思えば感謝しきれないです。この出逢いと事業展開も木―ボードの魅力が繋いだ事になりました。ビジネスは人と人が期待を持って、信用し合う中で成り立つものです。私達に情熱を注いだ人がHacoaの軌跡の中にいます。