2008年 天国から地獄
夢を詰め込んだHacoaの箱の完成も間近になる頃に世界的金融危機が起きた。
新社屋が竣工し、元の工房から機械設備を移動し、設置している最中に飛び込んだニュースは、アメリカで起きたリーマンショック。このニュースを聞いた時、アメリカは大変だなあと「対岸の火事」のような思いで捉えていた。外国の事だし、日本は関係無いだろうと。自分達はドリームファクトリーで仕事を始め、夢の中にいる。新しい社屋に機械を詰め込み、新しい机を並べ、スタッフの皆と溢れんばかりの笑顔で楽しい日々を送った。
2008年9月15日。リーマンショックが起きた直後からニューヨーク株式相場は大暴落を続け、世界経済に大きな影響を与えた。日本の株式も大暴落し、企業の経済活動がストップしていった中で、当然のように自分達も大きく影響を受ける事になった。
このリーマンショックで大きな影響を受けたのは建設業だった。当時は「東京ホテル大戦争」と言われていた時で、海外のラグジュアリー性高い外資系高級ホテルが東京への進出ラッシュの最中だった。
その恩恵をハコアも受けていたが、リーマンショックの影響が外資を直撃した事で、ホテルは企画の見直しや案件のキャンセルが相次ぎ、建設業界からの仕事が薄くなり、向こう3年間見込んだ収入の柱を失った。
世界中で経済不安が拡がり、閉塞感が高まる中で消費は落ち込み、小売店は仕入れをしなくなった。大企業は経営見直しを迫られ、大手の代理店からの贈答品や販売促進ツールの受注も、追いつかない程のUSBメモリの注文もピタリと止まった。水道の蛇口から勢いよく流れ出る水が止まり、ぽとりぽとりと水が落ちるかのような発注しか来なくなった。
二つの柱からの営業収益を見込み、大きな投資を行い竣工した社屋で天国のような時を過ごし始めたばかり。だが売上は無くなり、返済する当てが無くなり、地獄へと突き落とされた不安の日々をその天国で過ごす事になった。
現場に流れるラジオから、学生の頃に踊り明かした曲「デッド・オア・アライブ」が流れてきて、皮肉な想いで聞いていた事を今でも覚えている。
年が明け、年初の挨拶にて、スタッフ達に「外的要因に左右されないビジネスを確立させる為にも、自分達で作った物は自分達で売ろう」と言い切った。
ハコアの商品を増やし、充実させ、ハコアの商品販売だけで会社を成り立たせよう。数年後には東京に直営店を構える。その為の準備を今日から始めよう。会社の体力次第だが、私は諦めない。君達も私を信じて付いて来て欲しいと社員に頼んだ。
この追い込まれた中で、ハコアが商品企画から製造、販売まで一貫した経営スタイルを持った小売りに転換し、今でいうSPA(Specialty Store Retailer of Private Label Apparel=製造小売業)へと進む事になった。
絶好調の時に降りかかってきた災難。誰も予想していない事態は突然やってきます。ビジネスには良い時もあれば、悪い時もあるものです。調子の良い時に悪くなった時の事を考えないといけない。調子が悪くなった時に体力に余裕が無ければ、這い上がる気力も失う事を知りました。
地元だけで仕事を請けている時と違い、国際的な事情が自社にも大きな影響を与える場に立っている事を自覚するようになり、国際情勢を常に気に掛ける事となりました。このリーマンショックが起きるまでは、収益を得る為のシステムが他人任せでしか無かった。
風が吹けば風上を見上げ、風が止めば呆然と立ちすくむ。再び風が吹くのを待つしかない状況を変えなくてはいけない。自身で風を起こし、売上を生み出すシステムを考えない限りは、色々な情勢に影響されてしまいます。大きく変える決断が出来たのは、追い込まれ、瀕死の大きなピンチの中で、これしか無いという想いが大きなエネルギーに変わった時でした。
メーカーが行うべきSPAの手法やメリットが何かは、ハコア塾で解説していきたいと思います。