2010年 魅せ方が変わる
初めての都内直営店を決め、直売へと意識が向いていた頃、友人がハコアで働きたいと訪れた。
彼は7つ年下のグラフィックデザイナー。自分が28歳時にデザインを習っていたスクールで、20歳ながら抜き出た感性でパソコンの知識も高かった事で講師の助手をしていた。スクール受講中では、私に様々なパソコンの使い方を教えてくれた。受講を修了した十数年の間も何かと相談し、仕事を手伝って貰っていた、親しき仲だった。
Hacoaのロゴも彼がデザインしたものだ。彼は今でも自身の一番の出世作と言ってくれている。
デザイナーを経て、IT企業でネット構築を担う事業部長だった彼がハコアで働きたいと来た時は、7つ年下とはいえ、私にとっては先生でもあり、特別な存在だった。彼の上司になる事を躊躇い、彼の人生を補償する自信も無い事を伝えると、「自身で仕事を見つけ、自身でハコアの為に稼ぎます」と言ってくれた。
彼は働き始めてから直ぐに、ネット販売の再構築に取り掛かった。当時のホームページやネット販売サイトは、仕事の合間に適当に片手間で誰かが行っていた。プロの目から見れば、ガタガタの状態だったのだと思う。当時、それは自社の泣き所でもあったため、強化に即座に取り掛かった。
グラフィックデザイナーである事もあり、写真の使い方やコピーの訴求力がプロの仕事で驚きだった。WEBのプログラムも私達が組むよりも数十倍の速さで処理をしていく。これほど違うのかと思う位の差を見せつけられた。商品の魅せ方も美しく変わり、観やすく、読み易く、伝わる事がハコアの価値を高めた。
彼がオンライン販売に着手すると、月額平均で数十万位の売上が、400万円以上になった。オンライン販売で集客させる、売上をつくるコツを知っていた。入社する時の約束通り、有言実行にて稼ぎ始め、急速に事業を拡大させた。
売上だけでは無く、ハコアで「魅せるブランディング」が彼の手で組み込まれて行った事でハコアの魅せ方が変わり、飛躍的にブランドとしての立ち位置が高い所にステップアップした。ブランドとしての価値観や立ち位置を客観的に診て、改善を図る事でビジュアル化が進み、同業他社との差は歴然となった。
直売のお店を造る事になったこの時にプロのビジュアルを得た。ハコアの未来と新しいお店が成功する事に疑いの無い強い武器を得て、心強い限りだった。
経営には信頼できる女房役も必要です。野球の中では、キャッチャーが女房役と言われます。女房役がしっかりしているチームは強いものです。エースがエースで居られるのも女房役のサインを信頼して投げているから。そんな女房役が経営をする上で存在している事は、会社が強くなるだけでは無く、会社が大きく変わります。
それは、社長は安心感の中で社長でしか出来ない仕事をする事が出来て、社長に余裕と伸び代を与えてくれます。彼は今、ハコアの専務取締役になり、会社全体の業務を見渡し、会社全体の業務を管理しています。私以上にハコアを知っています。私がやみ雲に突き進もうとすると、ブレーキを掛けるのも専務。専務のブレーキで止めた事も多いが、それでも進みたいと相談すると、しっかり用意されている事もある。自分の進んだ道を馴らし、社員が歩きやすいように整備してくれる。
そのように仕事の段取りをしてくれる事が分かり、信頼を持って会社を預けられる人材が居る事は、強運でしかない。10数年の間にハコアを成長させたのは専務が居たから。そのような救世主が現れる自分の強運に驚きます。
ハコア塾では、オンラインでの集客の仕方や売上の作り方、魅せ方をレクチャーします。