2005年 一流との出逢い
東京で人生を変える一流の社長さんに出逢った。
会期中に「会いたいんだけど」と電話を頂いたその方は、取引の関係で直接的には会えないはずの憧れの社長さんだった。その社長さんは南青山にオフィスを置いていたので、企画展を開催している近くの小さな交差点で待ち合わせしてお逢いした。
白シャツにジーパンのラフさが表参道に馴染み、お洒落さが滲み出て眩しい。一目見て惚れ惚れするオーラがあるジェントルマンから、「実は一流の板物師を紹介してくれないかとインテリアデザイナーに相談したところ、君を紹介されて、近くで企画展してるからと云われて電話したんだ。」と。
私を紹介してくれたのは、中目黒で素晴らしいレストランを運営しているデザイナーさん。今は国内外で有名になった方だが、当時は自分とその素敵なレストランの一室で、夜な夜な未来の夢を語り合った友人の一人だった。涙の出るような苦労話も互いに交わし、私の稚拙な考え方に指導してくれたりと、東京での心の支えとなっていた人。
その友人が引き合わせてくれたのは、世界中を駆け巡り、著名な方々との交流があり、国内外の一流の高級ホテル等の室内装飾品やサインを企画している商社社長さんだった。社長さんは私をオフィスまで連れて行くと、お洒落なアートの数々を見せながら「イチハシ君、時間がある時は美術館に行き、アートを見なさい。それを自分の感性に取り入れ、自分自身のセンスを磨くといい。その感性を商材にする世界を紹介してあげるから。」と言った。
そしてその話が終わると直ぐに、今度は建設中のミッドタウンに向かった。建設中ではあったが、これまでに見た事も無い華やかな別世界に連れて行かれ、そこでホテルのGMを紹介された。直ぐに英語でのミーテイングが始まり、その場で大きな仕事の依頼を受けた。社長さんは初めて出逢う自分に一流の仕事を与えてくれたのである。いきなりシンデレラストーリーの中に放り込まれたような、そんな夢心地の時間が突然訪れた。
それからの数年間は、幾度も一流のレストランでの会食に誘って戴き、そこで経営者としての心得やアドバイスを戴いた。また案件がある度に声を掛けて戴き、国内外で活躍する著名な建築士やインテリアデザイナーを紹介戴いたりと、国内トップの一流の仕事を私に与え続けて戴いた。
豪華客船プリンセスダイヤモンド号の船内サインから、国内にある数多くの外資系一流ホテルの内装備品の企画の製作等々。商業施設やオフィスビルの何千万円もの案件も第一線の立ち位置で任せて戴いた。東京駅開業の際には、駅中にあるステーションホテルの名誉あるサイン計画の案件に2年間に渡って携わることが出来たのも全てこの社長さんのお陰である。
自分の実父は11歳の時に蒸発し、貧困な母子家庭で育って来た事もあり、頼もしい父親の姿に飢え、理想の父親像をずっと求めてきた。その理想の父親像をこの社長さんに重ね合わせ、期待に応える為に誠心誠意で向き合い、知らない、出来ない事も一生懸命に覚えていった。
経営者としての心構えや考えも数多く学んだけれども、何よりも「センス」という、経営にとっても大事な事を教えて戴けたと心の底から感謝している。私もこの社長さんのように人を信じ、見極め、一流を与えられる人になりたいと思い、仕事への向き合い方や情熱を傾ける姿勢を必死に見習った。
そのような頼もしく、自分が理想とする父親像を重ねてきた社長さんは、今でも新しいお店が出来る度に遠くからお祝い、労いに来て戴ける。涙が出る程に心を打つ出逢いとお付き合いには感謝しかない。そんな一流の人との出逢いや心を震わせる出逢いは東京にいるからこそだと今でも思っている。
一流を知らないと一流には成れない。一流を知っていて、余裕がある人は懐が大きい。そんな人が多いのが東京。素直に相談が出来れば、そうした人から親身に教えて貰える事は多い。経営ビジネスは、節目を変える出逢いがどれだけあるか、感謝し続け、期待して貰える人がどれだけいるかで成長のスピードは変わるという事を社長さんから教えて戴いた。
今のHacoaも期待され、期待に応える事が理念にあります。その理念は社員全員に浸透しており、商品企画から製造、販売接客に至るまで、期待に応えられる事を探し、見つけ、考える型が出来ているからこそ、会社は成長し、このビジネスが持続して来たのだと思います。