2010年 起死回生の商機を捉える

香港の展示会では、スマホ商材が延々と並び、日本と世界のトレンドの違いを知り、香港から戻り、直ぐにiPhone商材の開発に取り掛かった。

この不況から脱出するには、数年前から製作していたガラケーのカスジャケのような商品を生まないと、と願っている中で、2008年7月にアップル社が販売したiPhone3Gを手に入れた。日本は、ガラケーからスマホに移り変わる時であったが、携帯事業に参入したばかりのソフトバンクのみが販売していた事でインフラも整わず、普及が遅れていた。3Gのカバーを作っても見込みは無いと考え試作で終わらせていた。

しかし、2010年6月にiPhone4が販売され、一気にスマホブームが拡がった。ハコアもこの機を逃してはいけないと、iPhone4のケースを製作した。
3Gの時は裏面が湾曲していた事から、3D切削を行うコストが嵩み、高額な単価になってしまったが、今回のiPhone4はフラットな形状で、まさしく「ハコアさんケースを作って欲しい」と言っているかのように思えた。

まずは、iPhone4のケースをネット販売から始めた。予想通り、製作した100個があっという間に売り切れる。カスジャケのような反応に手応えを持った。
まだ、スマホに変えていないけれど、ハコアさんのケースを付けたいからとケースを先に購入する人や、着せ替えするからと一度に何個も買う人が続出した。カスタムジャケットユーザーが買い替えに戻った。

木製のiPhone4ケースフルウッドのアイフォンケース

IT雑誌関連でハコアのフルウッドケースが注目トレンドとして取り上げられるようになり、カスタムジャケットに続いての一世風靡が始まった。スマートフォン専門雑誌も創刊されるようになり、更にハコアケースの露出度は高まった。

その雑誌やインターネットでハコアのケースを見た国内外の同業者も木のケースを発売し始めるが、先陣勝ちとも言えた。他社のケースは重厚と言えば聞こえは良いが、技術や設備の差がハッキリと分かるようなもっこりとしたスタイルだった。ハコアのように薄く、洗練されたケースは前にも後にも出てこなかった事もあり、海外からも取引の依頼が殺到する事になり、輸出も行う程の反響になった。海外ではセレブ向けの通販サイトやショップサイトでは、国内の2倍以上の値が付いており、なおも受注は続いた程に活況だった。

そのような活況もあり、ハコアの現場は毎日のようにiPhoneケースの製作に追われる事になった。昼間は現場の職人が粗方の加工を行い、事務仕事等を終わらせた者も夕方からはケースの磨き作業に加わった。

ケースの仕上がりの良し悪しは最後の磨きにあり、当時8人の社員で机を囲み、一人のノルマを50個と決め、毎日、毎日磨き仕上げた。私も磨いた。皆で雑談をしながら、笑いながらの作業は、家族で夕食を共にするようで毎日が楽しかった。不況からも脱出する事となり、幸せな時間が戻った。


海外のレスポンスの速さを取り入れ、商機を見つけ出し、いち早く商品を創り出す。未来がどのように進むか、マーケットがどのように動くのかは、日本国内では知り得ない事なのだと思います。日本はいつの時も後手後手となってしまう。それは、国や国民を守る為の法律が多くあるからで安心な国の証ではあるのですが、グローバル競争の中では負けてしまうように感じます。

この頃からハコアの代名詞が木―ボードからUSBメモリになり、iPhoneケースに変わって来ました。それは、看板を掲げる事と同じで看板を磨き上げる事にも繋がります。起死回生の商機はそこかしこに落ちていますが、捉えられるかどうかは自身の限られた行動範囲だけでは難しい事だと考えます。

歴代の木製iPhoneケース達

関連記事

TOP