2015年 RENEW開催による産地の変化
この年、地元のものづくりの街で、ものづくりの現場を開放し、観て回る産業観光の一環として、RENEW(※リニュー)が開催された。
福井県鯖江市は古くから繊維産業や眼鏡産業が盛んで、特に眼鏡フレームは世界一大産地となっており、眼鏡の国内生産では96%のシェアを有する。その鯖江市の東部に位置する河和田地区は1500年余りの歴史を持つ越前漆器の里。
木地屋さん、塗師、蒔絵師とお隣同士で工房を並べる場所もある。うるしの里会館を中心とした半径3kmには様々な工房が軒を並べる。これほど多くの工房が集積し、徒歩で散策できる産地は全国でも稀である。
産地というのは、分業制で何処も家内制手工業。その為、小さな個人の工房が点在する他、ハコアのような10~60人規模の工房もある。
そうした地元鯖江市の産業は魅せどころも多く、これまで何度も地元の産業を観光にしよう、産業でまちづくりをしようと試みて来たが、なかなか上手くは行かなかった。
それは、産地という体質と意識の違いが壁になっていた。産地は下請けであり、都心の問屋から来る大量注文を請け、作り、納品する為に効率的な分業制を採った。そうなると完成品が見れるのは、産地問屋やメーカーしか無い。
作っていく工程の中途半端な商品を見せる訳にもいかないという人。職人は手を動かして、物を作り、納めて、飯が食えるのであって、工房にざわざわと人が押し寄せて来ても手が止まるという言う人。沢山のお客さんに見て貰い、少しでも買って帰って欲しいと思う人。様々な思惑があるが、人を迎え入れる事に馴れていないのが産地の体質。
それには地元の越前漆器が「堅牢な器づくり」と云われて来た産地であった事が関係している。この産地では、値段が安いお土産品とは違い、料亭や飲食店で使われる業務用の器や道具を作っていた。家庭の器であれば、多くても1日3回程しか使わないが、業務用になると多い時には1日数十回も使われる。
その為、堅牢と云われるように、何度使用しても長持ちする丈夫な器づくりが必要だった。その為、産地問屋が大量の注文を受け、仕事を振り分け手配していた事で、職人は産地問屋から注文が入る事が当たり前としていた。
そうした理由から、器を1個や2個の少量で販売するより、大量の注文が入る方が都合の良い構造に出来上がっている。それは、作り方も気持ち的にも。それが産地の体質で、景気が良い時は、産地を観光地にしなくても多くの収入があり、生活が出来た。
私は一人のお客さんと向き合いたい側だった事もあり、産地を観光地にして沢山の人々にものづくりの楽しさや面白さを伝えるだけでなく、大変な作業であることも分かって貰え、商品を持った時に感動するに違いないと考えていた。
それで沢山の人がものづくりに興味を持ってくれれば、今後の日本のものづくりの再生に繋がるはずだと信じて来た。
私が31歳の時に、地元の行政が東京からものづくりで有名なプロデューサーを連れて来た。一人のお客さんと向き合うものづくりがしたいという理想を持った私にも声が掛かり、まちづくりをお手伝いして来たが、2年程が経っても上手くは進まなかった。
それは、今のように景気が悪い時では無く、まだ産地に仕事が溢れていた時期であったので、プロデューサーに同調する人は少なく、反発もされていた。
任期も終わりかけていた頃、プロデューサーの方に呼ばれ、こう告げられた。「市橋君、君は産地のヒーローになってくれ。君が前に進む事で若い人が君の背中を見て追いかける。それが、産地を救う事になる」と。その当時、私も事業が上手く行かず、あきらめる事も考えていて、なかば自暴自棄にもなっていた。その私情を伝え、私はヒーローには成れないと答えた。
その後、プロデューサーの方から「私は癌で、あと3か月も持たない。私のやり残した事を君はきっと出来ると信じている」と、伝えられた。自分自身が自暴自棄であった時にそんな事を告白されても何をどうしていいのかが分からない。
それから、2か月程経ったある時に、そのプロデューサーの方からメールが来た。「市橋君、もうお別れのようだよ。今、病院のベッドで寝ているが、これが最後のメールになると思う。もう、返事を貰っても返せないから、このメールの返事を書かなくていい。返事を書くような無駄な時間を費やさず、先の事を考え、行動しなさい。私は君を信じている」と。
私は涙が溢れたが、云われるように仕事を続け、返事を書かなかった。プロデューサーの方はそのメールの数時間後に亡くなられた事を後になって知った。
自分が前に進む事で、誰かが背中を追い掛けて来てくれるという言葉を信じ、私は今までを全力で進んで来ました。それは産地のヒーローになり、産地の為になるという壮大なものでは無く、家族の為、頑張るお父さんの背中を子供達が見てくれる、社員が社長の頑張る背中を見て付いて来てくれる、という思いからでした。そしてそれが一番幸せなんだという事を後で気付きました。
年に一度、10月の秋晴れの地元で行われるRENEWは、数年前から県外から移住して来た若者の手で開催されています。彼らは自分達の事を「よそ者」と呼んでいます。
RENEWの構想、立ち上げの際は私も関わりましたが、実行するのは地元の私達では無く、地元事情を知らない「よそ者」の方が良いと思い、私は彼らに任せ、実行する側に立ちませんでした。
彼らの中にはハコアのように自身でブランドを立ち上げたいと情熱を持った若者が多かった。地元にハコアという職人集団が居て、ブランドを掲げて全国にお店を出した。そんなケーススタディがあるのだから、彼らにもハコアの行って来た事、背中を見て、前に進んで欲しいという想いがありました。
その期待に応え、若者達は、まちづくりのプロが成し得なかった、まちづくりと地方活性化を成し遂げ、現在話題の人となっています。産地内は異業種も多く、それぞれの業界やそれぞれの都合があり、なかなか上手くまとまらないものです。
それを上手くまとめ、仕上げたのがRENEWです。ハコアもRENEWに参加している事で、ハコアの本社スタッフも多くのお客さんにものづくりを見て貰える機会が増え、スタッフの意識も一人のお客さんに向き合う姿勢が出来上がりました。
近い将来、ハコアも産業観光の出来る施設を持ち、ものづくりに興味を持っている多くの方々が訪れ、のんびりと観て過ごせる環境を整えたいと思っています。
※RENEWとは、地元を中心とした丹南地区に拡がる80社以上の工芸、産業の町工場を開放し、ものづくりを見て廻れる年に3日間の工場見学の祭典。この丹南地区は漆器、眼鏡、繊維以外にも和紙、打ち刃物など多くの工場が集積している。これだけのものづくりが集積している地は世界を見渡してもここだけなのではないか、と思う程に自慢できるものづくりの街。この年から十数社で始まり、3年目には、見学を協力して貰える工場が大きく拡大し、約3万8千人の方々が全国各地から訪れた。