2001年 Hacoaの誕生
2001年、自社ブランドとして「Hacoa」と掲げた。当時は漆器の木地づくりを主とした有限会社山口工芸という小さな木工所だったが、社長であり師匠であった義父に社内ベンチャーとして認めて貰い、自分で勝手に名乗り、独りで立ち上げたブランドだった。
社長は頑固な職人気質な人で、自分で独立して今とは違うやりたい事をしたらどうなんだ、とも言われた。「職人として続けたいけれども先の見えないのは困る。独立しても山口工芸の様な設備、道具を揃え、構える事は出来ない。何より信用、信頼は独立して直ぐに得られるものでは無い。会社の財産である技術を受け継ぐ事は、後に最高の財産になるから。」と直訴し、事業部として認めて貰った。
漆器の木地づくりを行いながらも、遊び半分や片手間では無く、事業として成り立たせなければならない。そう覚悟を決めた。Hacoa事業部として社内での会計仕分けも別とした。その頃は自分の机も無く、工房の隣にある10坪程の小さな小屋を貸して欲しいと社長に頼み、自身の売上金から月々5万円を会社に払う事を条件に借りた。
それは、ひとつの自立の証にしたい気持ちからであり、売上の無い時に言い訳にならないように、甘える事無く、事業としての自覚を持つために、自身に義務として課した。その小屋はもう使われていないが、今もその賃料月々5万円は払い続けている。借りた小屋は、木材を保管する材木置き場だったので、木屑や埃が溜まり、外壁は波板ブリキ板1枚でなんとも簡素なつくり。
そんな小さなボロ小屋だったが、Hacoaの看板を掲げる為にお客さんに来て貰える場所がどうしても欲しかった。木屑や埃を取り除くのに何度も掃除を繰り返した。波板の外壁には波板ブリキ板を目隠すのに隣の製材所から使えない杉板を貰い、黒く塗り貼った。内壁には余っていたべニア板を自分で貼り、オフィスと商品の展示場に仕上げた。仕上がる空間を想像し、床や間仕切り、棚や机を自分で作っている時は、独り作業の中でも一国一城の主になる気分でワクワクしかなかった。
Hacoaってどういう意味なんですかと、よく聞かれる。「Hacoa」のHacoは箱屋さんのハコ。私達は御膳大工とも言われたが、板を作り、組み合わせ、お盆や重箱を作る専門技師として、指物箱物師とも呼ばれていた。箱物を作る作業の中で一番好きだったのが、重箱を作る工程のひとつ。捻じれを取る為に鉋で上端(上の縁)の高い所を削り、捻じれを取る作業。箱をひっくり返し、四隅を指で軽く叩き、高い所を探る。
この時、「コンコン」と何ともいえない心地よい音が箱の中で反響する。重箱の箱の中が至福の空間として捉えられる瞬間。小さな箱でも大きな空間でもA級のハコをつくり、ハコという空間の中にプラスαを詰め込んで心地よい空間としたい。との想いを膨らませ、「Haco+α」とした造語。
心地よい空間の中で、楽しみながら職人としての仕事をして、新たな職人を育てていく。そんな「ドリームファクトリーを造るんだ」と、木材置き場の小屋をオフィスに作り直す時に夢を見て始めたブランドです。