2001年 独りでは何も変えられない

東京を独り彷徨い歩き、自分自身の仕事や産地で当たり前と思っていたことが、時代とズレていると感じ始めていた。そして、このまま一人で仕事をしていても何も変えられないし、何も変わらないと強く思うようになっていた。自分で商品を企画し、提案し、見積もりして、作って、納品する。請求書も自分で書き出して、東京に夜行バスに乗って集金に行く。当時は、請求書を出してもお金を貰えない事が多く、「集金」に行く事がほとんどだった。こんな事をしていたら、自分の仕事が出来ない。自分の仕事は何だろう。商品を考える事?作る事?売る事?集金に行く事?なんだろうか?

東京で営業を重ねていると、田舎者でよいカモだと思われ、詐欺にあったことも一度や二度ではなかった。金銭的に大きな被害は無くとも、精神的に相当な打撃を受け、労力、気力も奪われた。昔、前川清の「東京砂漠」という歌がヒットしたが、東京に独り居るとその砂漠感がひしひしと感じられた。それから20年以上が経った今でも、月の半分は東京に住み慣れ親しんだはずなのに、心の中には「東京砂漠」があって孤独感は大きい。都会で田舎者が生きて行くには厳しい環境だと今でも思う。

独りでは何も変えられない

孤独感の中、自分の向かうべき場所を探していた中で思い至ったことは、「自分はやっぱり職人がしたい」ということだった。師匠から受け継いだ技術を次に繋がないといけない。こんな事を続けていたら、腕も落ちる。一人で何もかもやって行くには限界がある。自分の得た技術や知恵を伝承するには、若者が集まるような仕事に変えていく必要がある。この先を創るならば、若者が魅力を感じる仕事にしない限り人は集まらない。そうした想いが次々に浮かんできた。

それからは、今の時代に求められるものは何か?自分が出来る事は何か?を問い続ける日々。その自身の問いに悩みや想いや夢を語ることが出来て、自分で答えを見つける事ができるようになった頃に、たくさんの恩人が現れるようになった。

「人が羨むような仕事をしなさい」「君が産地のヒーローになりなさい」「君の背中を見て追いかけるたくさんの若者が勇気を抱く」「これからの時代は、良い物を作れるだけでは駄目なんだよ。プロデュースの力を身に付けなさい」「センスを身に付けなさい」「君だからできる商品のモノ語りをつくりなさい」と、多くの方に助言を戴いて、大きな力をお借りすることになった。

そのように助言して貰えるには、聞く耳を持つ事と素直さや実行力が必要。それが期待に変わらなければ、これほど多くの人が私に助言はしてくれない。自身が成長する為には素直さが絶対に必要と知る事になった。



めぐり逢った沢山の恩人である方々の言葉を胸に刻んで、東京で何度も自問自答を繰り返した経験が、伝統のスタイルを変え、技術を継承する為のHacoaというブランドを掲げるきっかけとなっていきました。

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